『霤[あまだれ]』劇団員の稽古場レポート☂奥泉

さぁさぁやってまいりました!!

はじめましての方も、そうでない方も、はじめまして。劇団員の奥泉です。稽古場レポート締め括りということでアゲなムーヴをカマさずにはいられないこんな世の中じゃポイズン。by 5尺7寸。なにぶん口下手なもんで随分。ヒェア


今回は連作短編集のトリを飾る「霤[あまだれ]」の潜入レポートとなります。「霾[つちぐもり]」「霖[ながあめ]」に比べてかなり普段の露と枕っぽいとタレコミありの「霤[あまだれ]」でございますゆえ、おそらく最も本公演の稽古風景に近いのではないかと邪推されますが、そうです。あくまで数ある稽古の1回を切り取ったものとなりますが、興味深いなぁなどと思ってくだされば幸いにございます。それでは、ポイズン。

(1)出力されるキャラクター性

露と枕では、スタート地点を細かく調整するという作業がしばしば為される。いや、それ自体は普通なのだろうが、よく目にするのは、一定の枠組みや路線があり且つそこに余剰があって、その中で役者がどう動くか、というものであるような気がする。露と枕の場合は、スタート地点を探った結果、そこに合わせてその後の展開を役者の動きで書き直しているようにさえ見える。つまり登場人物のキャラクター性がわりと後付けだったりすることがあるのだ。

村上愛梨(むらかみあいり)扮する鶴橋美保と、幡美優(はんみゅう)扮する鴨川福江の、初めて交流するシーン。この日は福江のキャラクターを実験していた。井上瑠菜の中ではザックリと「初対面でちょっと怖い人」というイメージがあったようだが、会話の動機としては別に機嫌が悪かったりするでもなく、その匙加減をいかに出力するか、が課題。声の大きさ・低さ、また、向きは鋭い方がいいのかボカした方がいいのか。状態は前か、後ろか。

物語をやるからには主人公(≒目線?)がいる。登場人物の印象というのは、もしかしたら観る人にとってのものだけでなく、それを物語の中で受け取る人にとってのものでもあるのかもしれない。本当は怖いわけではない人がなぜ怖く映ってしまうのか、それは主人公の精神性を反映しているのだろうか、などと想像させられた。

(2)対比されるキャラクター性

榊原あみ(さかきばらあみ)扮する鴨川小牧は、奔放な性格である。福江と小牧は姉妹で、クーデレの姉と養殖天然の妹という対比が見受けられる。両極端であるようだが共通点も多い2人は総じてボケ。美保の、彼女らへの対応における共通点と相違点。単純にツッコミというわけでもなく。

上記のような言葉を用いてたわけではないが、稽古の中で、それらの差分化なども、やはり細かく実験していた。時にはあえて脇道にそれて、最終型にはしない想定の極端なパターンを試してみたりなど。

露と枕の登場人物には、ある種の「鈍さ」を持ち合わせる者がよく出てくる。その鈍さの種類や程度を遊ぶことで、ポップさが印象付けられる。件の鴨川姉妹も、ポップな仕上がりだ。暗い設定の中でキャラクターはポップであるというところが、「優しい悲劇」を感じられるポイントの1つかもしれない。

(3)見せたい構造

被災中の体育館という、暗く狭い特殊な社会。そこでは世界の見え方も少し変わってくるようで、ステータスは、身分や職業に起因しない。そのうえ、物語はあくまで個人の目線で語られる。

鶴橋美保は、そこで出会った姉妹のことを大好きになるわけではない。むしろ、なにか「違う」ということすら感じているようだ。しかし目を背けられない。なんだか、重要なのか、なんなのか。

最後まで観た時、なぜ鶴橋美保にとって鴨川福江が「ちょっと怖い」印象であったのか、少しだけ見えてくるような気がする。真相は井上瑠菜の中にしか、いや、真実は観た者の中にしか存在しえないのだが、些細な、ほんの些細な要素が作品の根幹に作用しうるということを、今回の稽古場潜入によって受け取ることができた。


●さいごに

いやはや、いやはや。以上が、評論家ぶるという戯れでございました。楽しや。

戯れとはいえ、真面目に書いたつもりです。堅苦しい、というか回りくどい文章の中にも、今回の公演『雨のかんむり』のおもしろさを感じ取ってくだされば、このうえなく幸いにございます。

わたくし奥泉も、霾[つちぐもり]にて邁進しております。ぜひに、風姿花伝へ、お越しになって、くだされば!よろしければ、よろしくお願いいたします。


露と枕 番外公演

連作短編集『雨のかんむり』

2022.11/9-13 @シアター風姿花伝

詳細:https://tsuyu-makura.amebaownd.com/pages/1329398/next

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